ソ連・ロシア側はどうだったのか?
今まで、戦争を仕掛けたドイツ側を主に見きたので、次にソ連側も批判するところは批判し、褒めるところは褒めようと思う。一体私は何様であろうか、という議論は措いておく。
まず前半の前半の為体(『ていたらく』と読み、あまりいい意味では使わない。しかし最近言葉が乱れているようだ)はひどいものだ。私はこのありさまを「独ソ戦史」を読みながら、まるで小学校気分で中学の定期テストを受けて、めちゃくちゃな点数を取り、「どうしよう」と茫然としている中学1年の生徒みたいだなと感じた。ホントに悪い癖だ。
当時のソ連の状態は共産主義国化して「皆が平等」と言う空気に包まれていた。
これは軍隊の中でも同じで、一兵卒でも中佐でも大将でも元帥でも「平等」で、階級そのものが廃止されている部隊もあったと「独ソ戦史」には書いてあった。この時のソ連軍は、はっきり言ってアホである。しかし当時は大真面目に考えていたのだ。それだけ「階級社会」や「民衆と貴族との差別」に苦しんでいた世界がロシア帝国だった。私も踏んづけられている立場だったら共産主義革命に、喜んで飛び込んでいったかもしれない。
人材がいないなら探す
そして「大粛清」の結果もあって、弱体化した軍装備・指揮系統の混乱・敵情の無把握など「数え役満」で、あっという間に戦線は崩壊した。まあ当然と言えば当然だ。繰り返しになるが、私にはまるで小学校で「仲良しこよし」「皆平等」でごまかしてきたのが「中1ギャップ」で痛い目、あるいはひどい場合だと粉砕された人たちと同じように見える。
とにかく独ソ戦開戦初期のソ連軍は、まさに「フルボッコ状態」で、生き残った兵士は命からがら逃げてきた。で、こんな状態からどうやって持ち直し、挽回して、最終的にはドイツの首都 ベルリンを陥落させる「完全勝利」を得ることができたのか?
勉強でうまくいかなかった人に対するヒントはないだろうか?と考えてしまうわけだ。
指揮官を交替するとは、自分を変えること。
まずソ連軍は、というより独裁者スターリンは、負けてしまったり、逃げ出してきた指揮官を降格処分あるいは処刑してしまった。人の命を預かる軍人が、不様なことをしてしまったのなら、仕方のない話だ。
ただし、降格処分はともかく、処刑は行き過ぎだろうと思う。そもそも能力がないのにおべんちゃらを使って取り入った者を登用したり、能力があっても、自分の言うことを聞かなかった人を「大粛清」したのはスターリン自身だから、自業自得なのに、だ。
次に軍幹部の中で、有効と思われる作戦を主張する者たちの中から、比較的ましな者を選び、対ドイツ軍抵抗部隊を再編した。幸いドイツ軍は補給が途絶え、途中で停止していたので時間が稼げたのが大きい。
まず「指揮官を交替すること」、これを勉強する人に当てはめたら「自分の意識を変えること」と「やり方を変えること」になる。今までのやり方が通用しないことを素直に認めて、新しい方法を「輸入」する。明治の時に、日本が積極的に西洋の方法を取り入れたのと同じだ。
方法を変える
中学英語でつまづいたのに、自分のやり方に固執している頑固者がよくいる。小学校の時は「連続」していたり「積み重ね」が意識されることが少なかったから、もし何かがうまく行かなくても、次の分野でがんばれば、挽回ができた。ただし挽回した、と思っているだけで「その分野ができていないことに目を瞑る」が、習性として染みついてしまっているのだ。
でも中学と高校の勉強、特に英語・数学はほぼ完全につながっていることに、気が付かなければならない。だから通用しないような策は、きっぱりと切り離す決断が必要になる。
まだ続く。