「犯罪で利益を得るものを探せ」のセリフはこの小説から生まれたのかもしれない
名探偵ファリア司祭はエドモン・ダンテスに「あなたが新船長になることで不利益を得る者と、メルセデスを妻にすることを妬みそうな人はいないか」と質問をする。純真な青年であるエドモン・ダンテスは心当たりがないと答えたが、ファリア司祭は否定し、「文明は我々に欲望を与え、罪悪を与え…その結果…善良な本能を押しのけて悪に導く。そこでこうした箴言が生まれた。
『犯人を見つけるためには、まずその犯罪によって利得する者を求めよ』と」
という、極めて有名な(?)セリフをはく。
探偵小説では今や当然のセオリーになっている言葉だ。そこで色々調べてみたけど、「モンテ・クリスト伯」がどうやら初出みたいだ。実はこの小説の中には「あ~どこかで使ったらカッコいいかも」と思われる言葉があちこちに散りばめられている。
例えば、この2人の会話の前には、ダンテスが司祭が獄中で考案した様々な道具を見て「もしあなたが自由であったなら、どんなことでもやれたでしょう」と感心すると、ファリア司祭はいとも簡単に、
「何もできなかったであろうよ。人智の中に隠れている不思議な鉱脈を掘るためには不幸というものが必要なのだ」
と言ってのける。
そして船の会計士だったダングラールと、メルセデスを慕っていた陸軍士官のフェルナンが怪しいと見当がつく。しかしエドモン・ダンテスは、担当検事のビルフォールに見せてもらった告訴状の筆跡は、2人のどれにも似ていなかった、と告げた。そこでファリア司祭は自分が左手で書いた字を示すと、まったく同じような筆跡が現れ、ダンテスを驚かす。この時使ったペンと紙もファリア司祭が考案したものだった。
「左手で文字を書き筆跡をごまかす」手法は後の様々な探偵小説に使われているので(例えば横溝正史の「悪魔の手毬唄」とか)、この小説よりも前にあったかもしれないが、やはり新鮮なシーンではある。
次席検事まで「ぐる」だったとは
最後になぜこの勾留が不当にも長引いているのか、最大の疑問をダンテスがぶつけると、ファリア司祭はその告訴状の内容から、エドモン・ダンテスは当時エルバ島に監禁されていた先の皇帝 ナポレオンに忠誠を捧げる党派に属する危険人物で、早めに拘束しなければならない、と書いてあったというが、ダンテスには全く身に覚えがない。ただ単に「おつかい」に行っただけだし。彼は政治にはなんの興味もなかった。
色々考えたファリア司祭は「おつかい」で持っていった書状の差出人、あるいは返信のあて名は誰だったかをたずねると、エドモン・ダンテスは、「パリ・エロン町のノワルティエ」だったと記憶すると答えた。それですべてわかった、その「ノワルティエ」は、担当検事ビルフォールの父親である、とファリア司祭は見抜く。
この瞬間、絶望していたエドモン・ダンテスは復讐の鬼になることを決心する。しかしファリア司祭はそんな彼を悲しそうな目で見る。脱獄することの困難さ、あるいは不可能さを、6年かけた穴掘りで悟らされていたからだ。ファリア司祭の言葉には信仰心があふれている。彼はもう脱獄はしないと決心している。自分の老いもあるし不可能なことをするのは、神の御心にかなわないから、とも言う。
しかしエドモン・ダンテスは逆に、このような絶望的状況でも知恵を駆使して生きているファリア司祭をすっかり尊敬してしまっている。ここに「ファリア・ダンテス同盟」は締結されたのである。
まだ続く。