結果は大成功だった

我らがホープ(?)のY君は、推薦は無理だったが、一般試験で見事近畿大学に合格したことは喜ばしかった。推薦ではどうしても苦手科目の克服が課題になるが、彼は英語より国語がやはり苦手、特に古文が苦戦したのである。逆に社会科目はすべて良かった。そこで一般入試に賭け、結果、彼も初志を貫徹したことになる。立派なものだった。小学校からもっとちゃんとしていれば、もっと簡単に行ったかもしれないが、そこはそれ、精神的な成長は高校に持ち込まれたことになる。

大学でも彼なりに頑張り、割合有名な企業に就職し、落ち着いたあたりで、社会人中心の野球下部リーグに所属し、時々は小学生のプレーも面倒を見ているという消息があった。彼らしく相変わらず面倒見の良さを発揮していることと思われる。

刺激があった

どちらにしてものんびり者のY君がうまくいったのは、A君とBさんの存在がものすごく大きく、強烈な刺激を受けたのは事実だ。学校だけの環境では、ああうまくは行かなかっただろう。お二人には、多大なるご迷惑を、私のわがままでかけてしまい、申し訳ありません。そして本当にありがとう。

私の狙いは、高校1年と2年の間に、受験用の学力を整備すること、そして高校3年になっていざ受験という時、学校の雰囲気に流されずに、同時に刺激し合える人ができればよい、と思ってあの予備校に送ったのだが、予想以上の事が起きて、大成功だった。予備校の先生方にも、ご面倒を押し付けて申し訳ありませんでした。この場をお借りしてお礼を申し上げます。

しかしこれもY君の「人徳」によるものだ。のんびり人間で抜けているところも多いが、人をほっこりさせる彼だったから、うまく行ったのだろう。私も結局は彼にうまいこと使われていたのかもしれないが、別に悪い気はしない。特にY君のご両親とおばあちゃんは、本当に彼をうまく動かした。

「確かにウチの息子にはお金がかかります。でもここでお金を惜しんだら、きっと後悔すると思って。後はあいつが自分で稼ぐでしょう。その時に我々の苦労もわかりますよ」
と笑って言う言葉が印象に残った。

波及効果もあった

Y君が春からその予備校に行きだして、刺激を受けたM高校の同級生が夏から数人通い出したことも良かった。結果的には、彼らも全員志望校に通った(らしい。これはY君が教えてくれた)。

A君はあまり成績の良くない彼らにも、柔和に接し、時間がある時は教えたりした、とY君は報告してくれた。最初の感じと全く違う、と文句は言っていたが、あれは仕方がない。A君の心に余裕ができたからだ。Bさんも休み時間はよく彼らと談笑していたという。「類は友を呼ぶ」で、Y君と似たような人たちが集まっていたのだろう。

だがその中にC君がいなかったのは、A君の様子から明らかだった。Y君が「あいつかなあ~」と言っていたが、私は詮索するな、タッチするな、と釘を刺しておいたし、おばあさんは「自分の世話もできない人が、他人の世話など焼くな」とY君に厳命していたぐらいだ。
けだし名言である。

よって私には完全に無関係だが、残念ながらC君のことは不明だ。自分を救う者は自分しかいない。孤独な戦いを孤独にやり抜くしかない。C君の人生が今後より良くなることを願うしかない。