遅れてしまっても大事なものは取り返せばよい

同時に6年生になっても、割り算ができなかった人のことも思い出したりする。彼女は6年の途中から「中学校の準備のために」とのことで目の前に現れた。英語は喜んで単語を覚えたり、文を和訳したりするのを見ていると普通の能力を持った人のようだが、算数になると何かぎこちなく、特に「引いて求めるパターン」に弱かった。

そこでよく観察していると、どうも割り算になると、ガクンとスピードが落ちる。
落ちるどころか止まってしまう、と言った方が良い。
どうやら割り算が全くできないみたいだと判断した。女の子でもあるし、あまりキツク言うのは良くない、まずは情報収集だ、と家の人と連絡を取ることにした。

割り算が全くできないようです、と報告すると、母親は実はそうではないかと思っていた、でも親が教えると、叱るのが怒るのになってしまいそうで、塾に預けることにした、先生にすごく負担をかけてしまうかもしれないから、言いだせなくて申し訳なかったと逆に謝られて、こっちが恐縮したことを覚えている。

世の中には「塾は金を出せばいけるところ、金を出すこちらが強い」と考え、その姿勢で訪問してくる人もたまにおられる。初めて電話をかけてくるのに、いきなり値切る人もいる。確かに世の中は「商売」で成り立っている。しかし「商売」が成立するためには信義誠実の原則の確立から始まる、ということがわかっておられないのだろう。報道関係や出版関係なども同じで「商売」だけで売っていたら、後で損害賠償を喰らうのである。

この親御さんはその点、大変好感が持てた。そもそも子供を見ただけで、もうわかっていたが、つつみ隠さず報告してくれたので、肩入れすることになった。

原因をまずは探る

割り算は普通は小学3年生ぐらいで学習する。今の彼女を見ていると、そんなに能力が低いわけではなさそうだし、向こうも欠点報告をしたことで気がほぐれたのを見計らい、3年生ぐらいに何かあったのではないか、と思い切って質問してみた。

すると彼女がまさに3年生の時に、父親がいわゆるリストラに遭い、職探しに奔走していた、それで、家計を助けようと、自分もパートに出た、でも下の子の送り迎えや面倒を彼女に押し付けた形になってしまい、あまり勉強、特に算数が疎かになったようだと、報告してくれた。

今は父親も再就職をして仕事も確保し、自分も3年近く続けたパート職場で頼りにされるぐらいになり、家計が安定してきたから、塾に入れたとのこと。

事情がわかってしまうと、話は楽だ。いじめなどが原因でなくてよかったですね、それなら「割り算練習」の特別枠を組んで、早くできるようになりましょうと決定した。

「巻き返し作戦=オペレーション・ニューディール」の指揮を任されたわけで、3年生の教科書レベルから始めて、3か月で6年レベルに達し、不安の解消に成功し、本人もはきはき発言するようになった。

後はトントン拍子で、偏差値55~60ぐらいの高校に入学を果たした。 やはり「その学年で勉強して身に付けるべきことは、その学年で済ましておく。欠点は早めに是正する」のが大戦略の基軸である。

後で色々聞いてみると、前ブログで説明した「なかなか自分の解答や考えを言わない人」と同じ行動を、彼女は取っていたことを白状(?)してくれた。

あれは自分でも嫌だった、でも恥ずかしくて「割り算がわかりません」と言いだせなかった、と少し涙を浮かべている様子を見ると、苦しかったのだな、とかえって同情した。さらに彼女はまじめで、他の勉強はよくできたから、誰も気が付かなかったようだ。もちろん担任の先生もである。

悪いことは仕方がないが、ずるい事はしてはならない

若い人が「悪い」ことをするのは、反発心からすることもあるので、仕方がない部分もある、だけど少なくとも若いうちは、学生の間は、「狡く」なってはいけない、それは自分をごまかす行動で、成長を止めるので、人生においては一番やってはいけないことだ、と諭すと、納得してくれたのは嬉しかったことを覚えている。

このように児童・生徒=学童というのは「できないこと」を隠そうとするのである。例として適切ではないかもしれないが、室内での排泄を怒られた犬や猫が、次は見えないところに排泄物を隠して貯めておき、なんだか部屋が臭いな、と調べてみたら、テレビの後ろが…というのと良く似ている。

学校の先生は、この「演技」に騙されてしまうこともある。でも私の目は誤魔化せない。そして親・保護者はもっとしっかり見ていなければならない、良い例だろう。

割り算を教えこむことは「型にはめる教育」ではあるまい。発展して、また今上げた難問題集をよく読めば、たまに奇抜な発想もあるが、基礎から発展して方程式に持ち込む「型」が結構あったりする。

これは高専=高等専門学校(4年制の高校で、卒業時には、たいていその地域にある国立大学への2年生編入が可能な学校でもある)の問題でも同じだ。一見すると変な問題なのに、実は…ということが多い。今高専は「高専オリンピック」「高専ロボコン」がテレビで取り上げられるぐらい人気の学校でもある。あの生徒さんたちは「型」にはまった悪い類型なのだろうか。

「現場」にいる私としては、何をもって「型にはめる」と言うのか、「型」を教え込むことは悪い事なのか、でも世界数学オリンピックに出る問題も「型」がわかっていないと解けないよ、と考えると、よくわからなくなることが多いこの時期でもある。