Bさんは本物の文学少女

というのもY君が、A君と上のような会話を交わしたあと、Y君がBさんに「自分が今いるところで頑張るしかないから」と言うと、すぐさまBさんは「高山樗牛ね」と答えたからだ。

芥川龍之介や夏目漱石、武者小路実篤などのメジャー級に比べれば、ファンの方には申し訳ないが、高山樗牛はマイナー級だ。しかし作品中の有名な文言を知っているなら、仮に樗牛の作品を読んでいなくても、情報収集能力が高いことがわかるし、恐らく純文学にもある程度通じているのだろう。かなり高度の国語力を備えていることも、Y君から聞いて知っていたが、ここまでとは思わなかった。

「私にとってのキセキの世代」にいたOさんと同じレベルかも、と思った。マスコミ志望だったOさんは、当時30倍以上だった同志社大学文学部 新聞学科に合格した人で、幼いころから百科事典が愛読書の文学少女だった。

高偏差値でもバカな人はいるが、Bさんは「本物」である。
こういう人が、受験で失敗することはありえない。

やはりY君は知らなかった

もっともY君は「それ誰?」だったから、「こののんびり小僧が」と後で私に近現代の文学史のやりなおし補習を命令されている。おかげでBさんには「Y君て、アホなのか賢いのか、わかんないね」と批評されたとのこと。おっとりして見えるBさんもなかなか厳しいのであった。やはり「お姉さん」だ

私のお説教の後半部分も、高山樗牛の「今いるところを深く掘れ」の受け売りだ。
「今いるところで咲きなさい」という本が以前に売れたらしいが、こちらが本家だろう。ただし「もっともらしい言葉」というのは、すでにもっと昔に、誰かが「もっともらしく」書いていることが多いので、どこが本家かは不明な事が多い。まさに「太陽の下に新しいもの無し」だ。

世の中には「三」が溢れている

世には「三筆」「三蹟」「トリニティー=三位一体」「隠し砦の三悪人」「三国同盟」「三種混合ワクチン」などという「3」にからむ言葉が多い。中学時代、A君、Bさん、C君はまさにそれだったようだ。

しかし高校受験の失敗から、C君はそれを壊してしまった。本当はそんなことは良くないのだが、若い人にはなかなかわからない。風と言えばそよ風、雨と言えば五月雨、日光と言えば春の柔光だけとは限らない。暴風もあれば、大雨もあるし、熱中症を起こす強烈な夏の光もあることを知らねばならない。

A君は「孤独タイプ」のようだが、生徒会や所属する部活でも熱心だった。しかし家族を大切にすることを教えておかないと、社会人になった時、仕事人間になってしまって、定年になると家族が離散していたということもある。気を付けなさいよ、A君。

面倒見の良いBさんは、後は男性を見る目さえ備われば十分だ。えてしてこういう賢い女性はダメンズを好きになってしまうから、注意しないといけない。

C君が抜けた「穴」をY君が埋める形になって、精神的にも安定した(かもしれない)A君は、さらに成績が伸びて、そのまま志望校に合格し、Bさんも同じだった。ただしこれは私の勝手な推測だ。もしかするとY君がいない方が、もっと伸びたかもしれない。

あと1回続く。