成果をあげた時のご褒美はいけないのか?
さて前ブログで述べたことを、勉強・学習に応用できないだろうか?しかし勉強したら金品をあげる、というのは良くない、と言う「常識問題」がある。私も、もちろんその通りだと思う。
最近注目されているのが「行動経済学(Behavioral Economics)」という学問だ。あれこれ読み散らかしてみたので、不正確ではあるが「その行動が経済的かどうか=利益があるかそうでないか」の観点から判断する人間の心理を読み解くものだ。
そんなん当たり前ではないか、と考えるのだが、研究対象が「状況を正確に把握し、自己の利益を常に最大化するような完璧な主体を想定するのではなく、より現実の人間に近い不完全な主体を想定する」ことに新味があるらしい。そのうちに真剣に勉強してみようと思う。
で、生半可な「行動経済学」の知識を悪用して「うまく行ったら子供にご褒美を与える」の具体的な場合を考えるのだが、その前に、親・保護者は保護対象の子供に、日々の食事、衣服、住居を含めて「投資」をしているのは間違いがないことを確認しておく。
もちろん愛情(愛着?)もあるわけで、その投資対象がうまく機能していれば満足だし、そうでないなら改善を要求するのも当然だ。積み重ねれば、その金額は膨大なものになっていく。だから子供を持つ親は、年を取るにつれて草臥れた顔つきになってしまうのかもしれない。
以下は完全な冗談としてとらえてもらいたい。
どっちにしてもお金は出て行くのである。ミミッチク金品をあげるのが良くない。
いっそのこと「学年五科目総合で1位になったら100万円あげる」としたらどうだろうか?ただし、2位でも、3位でも単科科目1位でもダメで、総合1位になった時だけと、固く約束する。100万円が用意できないなら、50万円でも、ぐっと下がって10万円でも良い。学生には十分な大金だ。
でもこれに対しては、げんなりと、「そんなん絶対無理だ~」とあきらめてしまうような子供には通用しないだろう。まさに「馬の耳に念仏」「猫に小判」で、お金で買えないものがある、の好例だ。
効果があって発奮するのは、今現在のところ学年で20番以上ぐらいの人で、何か買いたいものがあるとか、あいつには勝ちたいとか、勉強ができるようになってモテたいとか、積み立てNISAやFXをやってみたいが手持ちの資金がないとか、人生において独り身を覚悟しているので自分の老後に備えておこうとかなど、欲にまみれている人の場合なら可能性がある。元々あまり悪くないのに、ひと踏ん張りしなかっただけのことかもしれないから、案外やるかも。セコイ話だが、実現するかもしれないから、賞金金額を少なくしておいた方が良い。
ポイントは「あなたが happy になれば、私たちも happy 」を大きな柱にする
もちろん同時に、勉強ができなくても生きてはいけるが、あまりできないと辛いこと、さらには「できる奴が稼げる職種に就く可能性が高い」ことを強調し、最終目標は「賞金・賞品稼ぎ目当てで、毎日やるうちに、気が付いたら勉強そのものが面白くなっていた」に持っていくことだ。
権力は得た手段ではなく、得た後の行使の方法で正当化されるという。
それでも、子供相手なので、なるべく手段はスマートに行きたい。「現金でほっぺたをはたく」のではなく、預金通帳のコピーとキャッシュカードでもいいし、欲しかったウン十万円クラスの高価な釣り道具一式でも良いし、絵を習いに行かせてやる、でも良いだろう。「一家でディズニーランド三泊四日の豪遊」ならなお良い。全員が happy だからだ。年少の弟妹も兄姉の勉強の邪魔をすることを控えるかもしれない。
以上のように、チミチミやるのではなく、「何か大きなボーナス」で釣ることを考えるのは、ダメだろうか?最近の「きれいごと一辺倒」「やりがい搾取」の風潮を見ていると、前ブログで述べた「中日球団がペナント終盤でやった野武士選手の釣り方」を思い出して、変な事を考えてしまう。