時代の要請というより経済的な要請

小論文の話に戻る。高校入試の特別選抜テストは、就活のように何百人も応募者がいるわけではないから、少しだけでも気が楽だ。多くてもせいぜい50人ぐらいだろう。それでもその中で「おお、これは中々…」と思わせる必要がある。

その際「基本は押さえておいて、なおかつ奇抜な発想を見せる」ことが大切だ。つまり正統的な考えも備えているが、いざとなれば邪道もできますよ、とアピールすること。

例えば「ロボットとAI」について書く時に、バラ色の未来ばかり書くのではなく、「ロボットが人に危害を加えそうな時はどうするか、またその予防をどうするか」のダークなポイントを設定し、その答えとして「あらかじめ、ロボットを停止させるコードを埋め込んでおいて、危なくなったら、それを発信する。ロボットはそれを拒否できるプログラムを持たないように設計する」などを入れ込むことが、小論文の印象としては有効になるだろう。

これは映画「STAR WARS クローンウオーズ」「イージスの盾」、そして、今流行の、陰陽道からの「呪印」「封印術」 などの組み合わせ発想でもある。柔軟な子供に育てたら、簡単に思いつくのではないか?

今の大人に反省がないのが情けない

前回「0を100に言うのはだめだが、3を100に言うのはセーフ」と主張した。これはぎりぎり限界の場合で、3ではなく、せめて15か20ぐらいまでには持っていきたいのが本音だ。だからこそ日頃の準備が必要になる。映画を見たり、本を読んだりする、討論をするのが苦手なら、討論会を見学する、などの行動を取ることだ。

しかし「特色選抜テスト」を受けることができる人は、当然のことながら学校のことは、もうちゃんとできていて、成績は良い。「型」はもう身に付いていて、今度は「型」を破る段階にまで来ている、と言ってよい。先ほど述べた「正統と邪道」の両方ができる人だ。

ここで
「では今の教育界の人たちは『正統と邪道』を両方身に付けるような精神活動を、学生の時にやっていたんですか?」
と問いたいのだ。

やっていたのなら、数々の不祥事において「初動の遅滞」「情報隠し」「身内庇い」などの硬直した行動を取るわけがない。どう考えても、どう見ても「柔軟性がない」「自分たちの論理で動いている」となる。これは自分たちが学生のころには、ただ単に学校の勉強をやっていただけ、の証拠でもある。ただし大人になって教員の試験を受ける時には、小論文の勉強ぐらいはしたとは思う。

私が少しひっかかるのは、現在の大人、特に教育界に所属する大人、これには私も少し入っているから私も含めて、

「自分たちが子供時代に、やったこともないし、できもしなかったことを、今の子供たちに押し付けて、しかもその際に済まなさそうな顔もしない、情のない卑怯者だ」

と声を大にして言いたかったから、ここまでの愚論を述べた。時代の要請であるのは理解するが、どうも釈然としないのだ。

だから代わりに私から謝っておく。
今の子供たちの皆さん、未来を予想できない情けない大人ばかりで、本当にごめんなさい。

とは言っても現実に対応はしなければならないので、小論文について、現段階で、わかるかもしれないヒントを出してみた。参考にしてくれればこの上なく嬉しい。

以上です。