やはりスマホの普及か
「君子危うきに近寄らず」というが、最近は君子の数が減ったのか、危うきが増えたのか、やたらと子供や若者が事故や事件に巻き込まれるケースが多い。特に携帯電話がガラケーからスマホに進化してから、統計を見たわけでなく、メディアの報道による感想でしかないが、小中学生、女子生徒、女子児童が犯罪に巻き込まれる事件が増えている。
で、当方なりに関連する事件のことを考えている。もちろん塾生が被害に遭わないような予防策としてだ。一庶民としては何ができるだろう。
声掛けをすると、逆に変質者や犯罪予備軍と思われる風潮に対抗はできない。それに元々、私は誰かに声をかける、ということ自体がメンドーで嫌な方なので、無理だ。道端で人に道をたずねられるのでも面倒だな~と思ってしまうぐらい、横着者だ。
突発事故は避けようがないが、「自分たちの生きている世界は、そんなに安全な場所ではない」という認識を深め、「君子危うきに近寄らず」の方針を、より徹底するしかないだろう。
ただし、前者の言葉は私が考えたのではなく、2001年に起きた「附属池田小学校事件」の被害者が、裁判を傍聴するにつれて吐き出した、痛切な言葉だ。前にも述べたが、知り合いの子供がもう少しで被害にあったかもしれない、悲惨な事件だった。それゆえに、忘れることができない。
危ういことに近寄らせないのは親・保護者の力しかない
さて本論だが、ここでは、スマホを使った、悪質な大人対無防備な子供と言う構図ではなく、もっと身近な子供対子供と言う構図で考えてみたい。もちろんその場合も、スマホが絡むこともある。どちらにしても、あまり何も考えずに、「危うき」に近づいていくような「問題行動」を起こす子供が、自分の子供の級友であるとか、小さいころから近所にいる、という場合だ。
そして対象になる子供が、とうとうかなり大きな「問題行動」を取ったと察知したとする。当然、親・保護者は、交際を控えるように助言しなければならないが、言語表現は慎重にしなければならない。中学生ぐらいという年齢は「友達は永遠に友達」という、美しい錯覚に陥っている場合が多いから、反発を招くだけだ。
例えば私なら「あの子はいい子だけど、親が苦手でね」とか「あなたが誘うならまあいいけど、向こうに誘われたなら、半分は断ってくれる?」とか。あるいは「学校で友人として話すのはいいけど、学校外では適当にね」などと言うだろう。これで言うことを聞いてくれたらいいのだが、それでもまだだめなら、かなりの人を巻き込んで、大げさにしてでも止めることになる。
親のエゴで結構ではないか
しかし「付き合ってはいけません」という親は、エゴイストだろうか? 中学生の子供がいる、ということは、もうその親も「年」である。時折幼児が事故事件に巻き込まれて、痛ましくも死亡することがあるが、幼児ならば、その親はまだ子供を持てる可能性がないわけではない。
しかし中学生ぐらいの子供に何かあったら、取り返しがつかない。安全策を取ってどこが悪い?手塩にはかけていないかもしれないが、少なくとも、テマもヒマもお金もかけて、育ててきた、そんな子供を理不尽な理由で奪われては、人生3分の2以上、終わったようなものだ。
この仕事が長いので、残念ながら、卒業塾生の中には3名が20代で、事故や病気で亡くなっている。お悔やみに行ったときに、例外なく親御さんが「私の人生は終わりました」とつぶやいた際に、かける言葉がなかったことは、忘れられない。
そして最悪の事態が身近に起きたが、我が子は回避できたなら、「遠ざけておいて、良かった」と思うだろう。子供が所属する家庭の風潮や習慣は、その子がある程度の年齢になるまで、改善することも、変更することもできない。そうなら、自己防衛手段として「危険を呼びそうな風潮の家庭に所属する子供」を「やわらかく敬遠」するのは当然ではないか。
無人情だが、一個人、一庶民として、子を持つ親として、できることは、これぐらいでしかない。最近は、一億総活躍どころか、コロナ禍もあって、収入を得る・増やすのが難しくなっているから、心身ともに疲れ切っていて、子供の面倒まで見きれない親・保護者も増えているかもしれない。それでも我が身に起きないように気配りをしなければいけない。
一生後悔して生きていく親にはなりたくないからだ。