とりあえず、2つ例をあげてみる。

タイプ1 基本的に何事にも積極的だが、あまり考えるのが好きでないタイプ。体を動かすのが好き、に分類しても良い。

うまく行く時は、得意な科目に時間をかけないで、不得意な科目に時間をかけた時だ。しかし不得意な科目だから、大きく成功することはできない。そこは覚悟させて、小さなことだけでも、英語なら単語とか、社会なら地名暗記とか、国語なら漢字だけでも、とかを、とにかく続けるように仕向け、やってきたら、「Well done, boy!」 と鬼軍曹が初年兵を褒めるように満足げに、大きくうなづくのだ。これが男の子なら大きく受ける。褒める側にも、多少の演技力が必要だ。

逆に得意な科目ばかりやるのはうまく行かない場合になる。結果的に逃げているからだ。特に中学レベルの勉強は「ある程度できて当たり前」という厳しい評価があるのが現実だ。そこでせめて半分でも、不得意な科目に気を向かわせるため、こちらから簡単な教材を用意する必要があるだろう。

タイプ2 国語力がなく、地味な行動を取る人

確実に自分に自信のないことが多い。こういう人に大きな目標を持たせることは、余計に不安を増やすことになる。もし親・保護者が「ぜひ公立に行かせたい」と言う時、兵庫県では困ったことになる。低いレベルでも十分生活できることをなんとか説得するために、長時間の勉強を課すことを2、3回はやる必要がある。もちろんこちらも付き合う。

それであまり成績が伸びないなら、普通は公立コースをあきらめるだろう。

学校の成績だけでは予想はできない

問題はそこからで、じゃあレベルの低い学校ならどこでもいいのか?は絶対にダメ。いわゆる「特殊能力」を身に付けた方が本人にとって、大きく有利になることを主張しなければならない。そこでその人が、「好きなこと」、小さい子供と遊ぶことだったり、色塗りだったり、料理でもなんでも良いし、男女も問わない。そしてその方面に即座に向かうような学校、幼児教育だったり、建設の資格だったり、栄養士だったり、各種資格と実技演習コースを備えた学校でなければならない。

タイプによっては早めの結婚も視野に入れる

こういう人は、大学を出てそれから社会へ出るのではなく、高校を出たら、すぐ社会に出ることを予定しておかなければならない。できれば早く結婚させることも視野に入れ、しかるべき相手を親・保護者が探しておくことだ。伴侶を得られれば、さらに力強く生きていくことが可能になるからだ。

もし子供を持てたら、もっと言うことはない。その人の親・保護者も、子育てに協力できる資力と年齢だからだ。

国語力がなくても、心配はない。本人の興味がある分野で、それで生活しようとするなら、自分には難しい本でも、自分から読む。生きるためなら人はなんでもする。学校の国語とは味が違うことに、親・保護者が気が付かなければならない。

建設の現場に立ち、同じ時間働いても、色々な資格があれば給料が違うこと=有利なことに気がつき、夜は懸命に勉強して、今は足場を組む仕事で高給を得ている最終学歴が高卒の卒業生もいる。

5月ももう終わりだ。私は夏に向けての、エネルギーのチャージ中だが、卒業生たちは五月病は回避できただろうか?などと、考えている日々だ。