テスト準備はほぼ済んだので
なんだか「これからの新課程にどう付いていくか」のお題に便乗して当サイトお勧めの VITALs の宣伝をしたところもある。連休も終わり、来週とさ来週は中間テストなのだが、一応の準備はできたので(ブログを書くことだけでなく、テスト準備もちゃんとしていました)、ここは開き直って、この春にほぼ完成したVITALs が、どうやってできたのかを紹介をして、同時に今までの教科書の変遷も振り返ることにする。
いかに効率よく中学3年間の英語を全て学ぶか、
いかに速く、集中的に学べるか、
いかに高校英語につなげるか、
いかに挫折している人でも、気を取り直してやれば、ペースをつかめることが再び可能か。
VITALs は以上の4本柱を、実現するためのもので、決して今回の新課程に合わせて作ったものではない。本当に偶然だ。
40年間近く、中学生の英語と数学、その他の教科を指導する機会に恵まれている。その間に、頼まれた時だけ、高校生も指導した。これは私にとっての「キセキの世代」の思い出でもある。その中で、特に英語学習の変遷には振り回された、というのが感想だ。それは良い意味でもあったし、悪い意味でもあった。一概には言えない。少し振り返ってみたい。
40年ほど前、教科書の様変わりに驚いた
50年ぐらい前、私が中学生のころの英語の教科書は非常にシンプルだった。カラーでもなかったし、イラストもなかったし、写真なんてとんでもなかった。印刷技術も稚拙で、もちろん紙質もあまり良くなかった。単語は多かったが、日常生活の名詞を取り上げるほど親切(?)ではなかった。中学3年間で身近な野菜の名前や、木の名前を覚えるようなことはなかったと記憶している。
しかし教科書の内部にある文は、文法内容が繰り返しになっていたことが非常に良かった。例えば、There is 構文が正式セクションの本文中に、ずらりと5文ほど並んでいた。
正式セクションの本文だから、当然にして、字が一番大きい。見ていれば、もの覚えのいい人なら自然に全部覚えてしまうし、もの覚えの悪い人でも半分ぐらいは覚えるだろう。
テレビやラジオでNHKの講座番組を見るか聞くかぐらいしか、音声を聞ける機会があまりない時代だったし、録音の道具であるテープレコーダーはとても高価だったため、持っている人はあまりいなかったから、きっと視覚に訴えていたのだろう。
高校に入っても同じようなものだったし、大学入試でも英文を読んでそれに答える形式の英語テスト、英語教育の時代だった。確かに英語をペラペラ話せる人はいなかったが、大学に入ったころから英会話教室に通いだした人もいて、それで十分話せるようになっていたから、問題なかったと思う。
それは私にとっての「キセキの世代」でも同じで、英会話は高校か大学からで、アメリカ、ヨーロッパ諸国で生活するのに、英語ではあまり苦労はなかった、と言っていたから、基礎ができているなら、後は本人の努力次第だ。
私は大学の法学部に通っていた。ちなみに行政書士試験には合格している。その大学2年生になったばかりの時に、知り合いの人から「ウチの子、中1なんだけど、英語が悪いので、勉強を見てやってくれないか」と頼まれて、とりあえず持ってきてくれた中学英語の教科書を見た。6年ぶりの「再会」みたいなものだった。
カラーで、イラストも豊富で、えらくきれいになっていて、驚いたが、もっと驚いたのはそのセクションでの重要英文の繰り返しが少なく、本文中に1回ぐらいしか使われていないことだった。そして正式レッスンが減っていて、なんだか途中にアリバイ作りか、悪く言えば誤魔化しのように、補充の「まめ知識」みたいなコーナーが設けられていた。喩えは悪いが、大事なことなのに、小さな文字で書いてある保険会社の契約書みたいだな、と思った記憶がある。