持ち時間だけは、ほぼ平等という不平等さ

生まれたその日から、高校入試への持ち時間は決まっている。例えば、受験日が例年3月10日前後の兵庫県公立高校を受験する場合で、今年度に生まれた人なら、おおざっぱに計算して、だいたい5800日後に高校入試だ。もちろん一貫校の小学中学受験に成功した場合は高校入試はないが。

そして「中学生になった」のが4月1日だとすると、中学3年の進路決定指導は例年12月中旬だから、だいたい970~1000日後に高校の行先が決まる。また受験する県や地域が違うと、もっと違ってくる。これも、中学生になって、だれているな~と見えてきたら、あるいはすぐにだれてしまう傾向が強いご子弟なら、あらかじめ教えておくべきだ。

人間は残念ながら不平等な条件で生きている。そして元々能力差があるのに、持ち時間だけはほぼ平等。その一定期間で、ある程度のことをできるようにならないといけないのが、入試だ、という事実は、私自身もいまいち納得ができない。でも現実は変えようがない。

困ったことに時間だけは、どの店に行っても売っていない。SF大好き少年だった私は、「大人になったらタイムマシンを一台絶対に買おう」と思っていたのだが、今だに購入できないでいる。とても残念だ。

馬鹿な話は横にのけておく。しかし中学生というのは今自分が過ごしている時間が、永遠に続くと錯覚、あるいはそう思いたい願望・妄想に憑りつかれているようなところがある。私も昔中学生だったから、わからないでもないが、やはり何でも終わりがあり、安全な牧場のどこかに隠れていても、最後は外に出されてしまう牛や馬みたいなもので、自分が「あっちに行きたいな」と思っても、力量が不足していると、「お前はこっちだ」と違う方向に行かされてしまう、という現実に向き合えるように、していかなければならない。

15年は長いようで短く、しなければいけないことは多すぎる

のんびり屋がやる気になるのを待っていたら、時間がなくなる。ショック療法を使い、覚悟を持たせるために、持ち時間の事実をキチンと教えておくことが、親・保護者の最低限の役割だ、と私はいつも考えている。もちろん、嫌な話でも、しっかり耳に留めておくような子供に育てていくことも必要だ。

そしてその時間が丸々自分のものではなく、色々と拘束され、ほんの10%ぐらいしか、自分の自由時間はない、ということも知らせておかなければならない。だから「時間ができたらする」というのは「いつまでたってもやらない」と同じことで、「時間を見つけたらすぐに」勉強するような癖をつけさせておくことも、必要になる。

0才~15才、15年という歳月は長いようで短い。歴史的にはまさに「激動の15年」や「激動の10年」もある。例えば、1853年にペリーが来航し、15年後の1868年には250年以上続いた江戸幕府は滅亡していた。1931年9月18日には、後に満州帝国樹立へと発展する柳条湖事件が勃発し、1936年2月26日には二.二六事件が起きた。どちらも陸軍という組織がブイブイ言わせて日本を牛耳っていたのだが、その14年後あるいは9年後の、1945年8月15日に大日本帝国は事実上滅び(降伏受諾は9月)、11月には栄光の帝国陸海軍は解体されて無となっていた。そんなこと誰が想像できただろうか。

スケールは違っていても、15年間という時間は個人にも同様に、大きな出来事が立て続けに起きるものだ、と肝に命じておきたい。