9月に自殺が多いのはこの業界では昔から当たり前だった
夏休みは、未成年者が犯罪に巻き込まれたり、自らが犯罪者にもなってしまう期間であるのは「証明済み」だが、9月は学生の自殺が多い月でもあることが、ようやっとここ数年認知されてきた。もっとも私がいる業界ではかなり前からの「常識」だった。
「認知」されたことは良かったと思う。しかし警戒しているだけではだめで、踏み込んだ「調査」と「介入」も必要だろう。そうこうしている間に、去年の11月にデジタルツールを使った新たな「いじめ」から女子学童が自殺したことが発覚し、しかもその誘因になったのが、学校の設定した123456789という全員共通のパスワードだったという、極めて間抜けな、そして同時に深刻な結果になってしまった。もはや9月だけが危険な月というわけでない。
色々記事を読んでみたが、「生兵法は大怪我の基」を地で行く技で、デジタルツールを使う際には、専門家が付いていないと非常に危ないなあという感想しかない。すべて現場に丸投げか、ホント、どうしようもないな、と呆れてもいる。そして定番の「学校はいじめと認知していなかった」の繰り返しだ。今回被害に遭い、生命を喪失した少女と、そのいじめに加担したと思われる学童たちの振る舞いなどが、これまた色々な場所で紹介されているが、大体が、私の知っていたり、想像できる範囲に収まるケースであるので、変な意味で納得しているのもの事実だ。
この手の「犯罪」に巻き込まれるケースは、例えば道や繁華街で「因縁」を付けられて暴行を受ける、と言った「通り魔的」な場合ではなく、たいていは仲間内・クラス内の「価値観」の違いから、いじめという「犯罪」を受け、それがエスカレートして死に至るということが多い。
そして、全く責める気はないのだが、親・保護者の「学校を信じる」という基本的態度から、事態は深刻化していくことも、ほぼ典型的なパターンと言える。
なぜ規範意識が働かないのか…ハンナアーレント曰く「悪の陳腐さ」
普通の人間にはどうしても「良心」というものが、根底に存在する。原始人にはなかったかもしれないが、古代・近世~現代に至るにつれて「規範意識」が人を縛り、精神的な遺伝で「やってはいけないことは、やってはいけない」という意識が生まれる。ではなぜその肝心な規範意識が働かなかっただろうか。
ここで少し大げさだが、私はハンナ・アーレントの「エルサレムのアイヒマン」中で指摘された「悪の陳腐さ」、そして「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」という言葉を思い出す。
本の内容の詳しい説明はサイトが無数にあるので、そちらに譲るとして、要するに、人はあるシステムの中に組み込まれ、他に生きていく方法がない場合は、そのシステムが悪いことを実現するものであっても、唯々諾々とそれに従ってしまうという意味で「悪の陳腐さ」と名づけられたと覚えておけば今のところは十分だ。
同じ事が集団いじめにも言える。お互い調子に乗って、誰かをいじめることに加担しても、性根が普通の人は、次第に心がうずくようになる。いじめに参加していた学童たちも、ホントは心の中で「まずい」と感じていたはずだ。ここでイグジット=EXIT=外に出ることができたら良かったのだが、抜けると今度は自分がいじめられる、と思いできなかったのだろう。
しかしそこを教えるのが大人の仕事であり責務だった。
未成年だけでなく、20才~30才の青年インテリの集団であった連合赤軍の「山岳ベース事件」でも似たようなことが起きている。連合赤軍 Japanese Red Army の面々の意識はどうあれ、社会的には「テロリスト集団=はた迷惑な存在」であることは、未成年の構成する暴走族や暴力集団と全然変わりはない。
彼らの統率の力は「有形力」によるもの、つまり命令に背くものは暴力で従わせる、あるいは洗脳して組織の基準に合うようにさせることだった。そして抜けることは許さない。許すと自分たちの存在意義がなくなってしまいそうだし、実は取り残され感が一番怖いので「足抜け」を見逃さない。そこでいじめチームも連合赤軍も、ああいう似たような結果になってしまった。
死を無駄にしないためにも今こそなのに
もしかすると事が発覚して、一番安心しているのは、きっと取り巻きレベルの学童たちで、本当は教師たちは機会を逃してはならない。保身に走っている段階ではないのだ。連合赤軍の場合は逮捕の手を免れた取りこぼしが「浅間山荘事件」を起こしたので、後々も注意が必要だ(そういう意味では、当時の公安委員会は失敗した事になる)。
多感な中学生や小学生をお持ちの親・保護者さんたちは、この事件を題材に話し合ってみてはどうか。そしていじめが始まりそうだ、と思ったら、いち早くそこから抜けることが大切だ、いじめがはじまってしまったら、中々抜け出せないよ、と。そして、友だちをアップグレードしないと、自分の人生の「時代」に付いていけなくなるよ、と諭す方が良い。