問題は高認テストではなく…

さて「内申書制度と高認テスト」について色々思うところはあるが、実は高認テストより、もっと大きなことへの関連を考えていた。

人を評価することの難しさはどの時代になっても変化はない。以前みたいに、英国数理社の「点数だけ」で評価するのも考え物であったし、「やる気」や「創造力」、「リーダーシップ」などを評価に入れるのも、ある意味考え物だ。

学校という「異世界・異空間」と、学生がいつか入り込まないといけない「社会」では評価基準が微妙にずれていることが原因だろう。これはよく使われるたとえ話だが、ある科目で、平均的にA君はいつも満点近く、B君は80点、C君は苦手なので50点を取るとする。A君は自分のことだけで精一杯なのか、無関心なのか苦手なのか不明だが、他人を教えたりはしない。しかしB君はおせっかいなのか、根が優しいのか不明だが、C君の不備な点を修正する指導と協力をしたので、次のテストではC君は自己最高点の70点を取ったとする。

この場合、もちろんA君がエースという評価は変化がないが、会社や企業で一番評価されるのは実はB君の可能性がある。合計230点の業績を250点にアップした原因を構築し、しかも継続性のあることをやってのけたからだ。まあ評価する上司が公平という前提はある。

またこれもどこかで読んだ文だが、「社会では、努力したが成果を出せない無能より、特に努力しなくても結果を出した人が『正義』で、結果を出せないのに、過程にこだわってたら馬鹿扱いされるのが普通」とあった。

こうなると一体何が正義で有効なことなのか、わからなくなってきている。

善人ではなく悪党になることを目指した方がいいかも

ただし、ある程度のことを達成するためには、極端な話だが「お人好し=善人ではなく、ずる賢い悪人」にならなければならないのは必須の事実だ。だがこのようなことを、学生≒まだ子供の人たちに説くには、環境を整備・設定することや、精神年齢を向上させておく必要がある。

そして、勉強科目の得点だけでなく、内申点をまさに「点数」にして、評価に加えると、「努力しなければいけない項目」が増えてしまい、学生の負担が大きくなるのではないか?と私なんかは考えている。

特に現代は何かとスピードアップしている割には、学校の行事は減らない(我が市では、中学校の連合体育大会はなくなったけど)。このため授業は急いだり、のんびりしすぎたりと、一定していない。もう少し、丁寧にできないだろうか。

どちらにしても、「個の重視」が進めば、学校というものに生理的になじめなかったり、何かの精神的なトラブルから勉強についていけなくなって「ドロップアウト」してしまう場合が、今後さらに増えるだろうし、本当に学校、特に高校を退学することまでいかなくても、なんかだらだらと過ごしてしまい、「精神的には不登校状態の潜在的退学者」が増えそうだとも考えている。

だからそんな人の受け皿として「高卒認定テスト」を導入して、さらにその中身を緩和しているので、はないか、と私などは邪推している。

今よりももっと中学での勉強や学習態度を強化していく人だけが、「潜在的ドロップアウト」を避けることができるだろう。そのためには小学校高学年ぐらいから意識しなければいけない。

内申点制度は役に立っているのだろうか

以上のぐだぐだした感想より、もっと大切なことは、内申点制度が1966年に導入されてから、60年以上が経過したその結果である。この間、日本は、経済的にアップしたり、ダウンしたりを繰り返してきた。それはまあいいのだけど、ここ30年間のダウンのし方は凄まじいものがある。1990年代に世界規模で10位に入っていた企業や銀行は、2010年~2020年の間にはトヨタだけになってしまい、後は見る影もない。

では1990年代までにスタートアップ企業は全然なかったのか、というとそんなことはない。しかし世界の方が規模が大きすぎ、スピードが速すぎて、全く追いつけていない、という構図がある。そして今、日本企業は45才定年制やら、副業解禁を打ち出さなければいけないぐらい、「もう会社だけでは十分な給料は払えません。後は自分でやってください」と言わんばかりの「白旗」状態だ。

データー的エビデンスはゼロだが、日本を切り開いていくべき存在の、いわゆる「尖った人材」を養成することには、内申点制度は全く役に立たなかった、ということを意味しないだろうか?私にはそう思えて仕方がない。皆さんはどう思うだろうか?

*追記
こんな与太話を書いた約2週間後の10月5日に、有名サイト文春オンラインには、
『「こんなに頑張ってるのに給料が上がらないのはおかしい。パワハラだ!」 蔓延する“相対評価”、“内申書重視”はなぜ日本をダメにしたのか』という記事が掲載されていた。私自身は、この記事を書かれた著者のことはあまり深くは存じ上げないので、なんとも言いようがないのだが、これから多発しそうな、あるいはもうすでにあちこちで起きていることだろうな、とは思う。

特に記事内の「もういいじゃないですか。うちの大学の学生、もともとそんな成績の良い子が多いわけじゃない。適当に良い成績をつけて進学、卒業させればよいのですよ。そのほうが良い企業に就職できる可能性も高まります。だいいち、成績悪くつけて、留年なんかになったら、また親たちまでが大挙してやってきて大騒ぎになる。先生、ここのところはひとつ、お気持ちはわかりますが、よろしくです」とある大学側の「配慮」にはさもありなん、という感想しかない。皆さんはどう思われるだろうか?

*2022年7月3日 追記
どうやら数字が出てきたみたいなので、次のサイトを紹介しておく。

理数系科目の授業時間減少が研究開発力に与える影響を明らかに―学習指導要領の変遷と失われた日本の研究開発力―

けっこう衝撃的な数字で、予想通りだが、我が国の未来はあまり明るくないかもしれない。