「結局、英文法を勉強している」のもう一つの例として

何年か前に「FAT CAT~」とか「太った猫が~」とかいう英語啓発本がたくさん売れた。本の正確な名前は忘れてしまった。本屋さんで立ち読みした時に、その本の中、確か前書きの部分に、色々な事情で、アメリカに突然住むことになった作者が「日本から届いた(あるいは日本から持ってきたものだったかもしれないが)英語の文法参考書を何回も読んだ」とあったと記憶している。

どうやら英会話教室に通っている人は、この部分を読んでいないのかもしれない。もはや日本語が母語=脳の基礎言語として定着してしまった人は、話すこと、あるいは英語だけの環境に身を置いても、話すだけでは、英語ができるようにはならない、ということを示している。要は「意識的な学習」を反復することにつきる。

VITALs は、英語が話せるようになることを目標にはしていない。あくまで学校でのテストの点数を上げることが目標だ。しかし人間は現金な生き物だから、高得点を取れば「次の段階」に進みたくなる可能性が出てくるのでは、とも考えている。

疑問詞を使う疑問文を作るのが苦手な人が多い

次に注意したのが、疑問詞を使う疑問文への転換方法で、王道である「疑問詞を使う疑問文の意味がわかる」⇒「単語を並び換えて、疑問詞を使う疑問文を正しく作る」⇒「下線部をたずねる目的で、疑問詞を使う疑問文を作り、それに対応する受けた答えも作る」というルートを通るやり方に、慣れてもらうことだった。

おかげでテキストの解答集は、疑問文だらけである。答を作っているこちらが根負けしそうになったし、実際根負けして、1週間ほど休んだこともある。これを1年生でやるか、やらないかで、中学3年間の英語の点数が決まると言っても過言ではない。ただし少しトロイ人だと、中学1年生の間はあまり点数は上がらない。やはり身につくまで時間がかかるし、能力というより、根気の問題でもある。あるいは根気という能力の開発かもしれない。何でもすぐに結果を求めたがる現代の風潮にはあまり合わないかもしれないが、「急がば回れ」「急いては事を仕損じる」という。

結果主義は、結果を出したいがために、手段を選ばない方法に走る危険性がある。少し大げさな例だが、日中戦争⇒満州事変で日本軍がいわゆる「軍部の暴走」に陥った原因でもある。中学生はまずは毎日少しずつで良いから、疑問詞を使う疑問文を作ることに慣れて行く方が安全だ。本当ならこういう役を学校にやってもらいたいのだが、現代では少し無理なので、こちらがやることにした。苦労はしたが、何とかできあがったので、第1関門をクリアした、と思ったぐらいだ。

前ブログで「1年生の勉強部分を2つに分けて、2年ぐらいかけた方が良いような気がする。3年間(正確には2年と10か月ぐらい)でやるのは、普通の人には無理なのではないか」と書いたが、現実はそんな懸念など無視して、英語新課程では、1年生の終わりに、過去形の規則変化・不規則変化に止まらず、過去進行形や、未来形まで進んでいる。これは予想の斜め上だった。ホントに現場を知らない「エリート参謀たち」の作戦は、無茶苦茶だな~という感想しかない。

次は2年生分野の話だ。