普通とはめでたいことです。

ごく普通に年が明けて、墓参りを済ませ、近所の神社で初詣を済ませるという、つまりいつもの新年の始まりであり、「普通である」ことは、災害国・日本に住む身としては、ありがたいことです。

また、今日に関して言えば、昨晩のうちに雪が降り、少しだけ屋根などに積もってはいましたが、道路はそうでもなく、すべる危険もなかったのは仕事柄嬉しいことです。

百人一首の紹介と裏話を始めます。

で、年明けからブログは何を始めるのか、これは前から決まっていました。百人一首の紹介と裏話です。歌の解釈そのものは、非常にたくさんの解説本が出ていますから、そちらを参考にしてもらうことにして、当方はどちらかというと、歌の作者や、時代背景やら、作者の他の和歌、関連した「エピソード」あるいは「変なこと」、そしてできるだけ「作者間の個人的つながり」などにしぼる趣向です。これは「敷島の道」に反する「邪道」らしいです。

でもそうすることで、中学生や高校生、あるいは小学生の興味をひけたらいいな、と思ったからです。まあ堅苦しいことや、お上品なことは、他の方に任せます。子供たちが面白がってくれればいいのです。あ、もちろん大人の方もよろしくです。そんなに大したものではありませんが、私なりの「研究」の発表でもあります。

ただし百人一首関連だけでは奇特な閲覧者の方々が、飽きてしまわれるかもしれないので、途中で、全然関係のない話題のブログも挿入していくつもりです。ちょっと飛び飛びになるかもしれませんが、リンクを貼るなどの工夫をする予定です。

百人一首は謎の多い「定家卿の遺産」

有名極まりなく、知らない人はいないぐらいの作品であるにも関わらず、未だ全貌が不明なのがこの「百人一首」です。藤原定家はこの百人一首を作成・編集するにあたっての冒頭で、「用捨は心にあり。傍難あるべからずか(どの歌を使うか使わないかは、私の心次第だから、傍らで何を言われても意味はない)」と述べています。

正直に申し上げると、古文・漢文に関しては、私は高校時代には、あまり熱心な生徒ではありませんでした。そんな私が、古文に興味が持てたのは、なんと言っても 小説家 海音寺潮五郎先生と、井上靖先生のおかげです。またこの小稿を書く材料として、目崎徳衛先生の「百人一首の作者たち」と、鈴木知太郎先生の「小倉百人一首」には大変お世話になりました。

そして、上記の御四方の「基礎」と、「QEDシリーズ」の作者 高田崇史氏のおかげで、私は「日本の昔のこと」の面白さに「開眼」したようなものです。この場を借りてお礼を申し上げます。後、百人一首関連の本は、何冊読んだのか覚えていませんが、それぞれの著者の方々にも、です。また歴史研究家の関裕二氏、小説家の高橋克彦氏、同じく小説家の京極夏彦氏、民俗学研究の網野善彦氏、妖怪研究家の小松和彦氏などなど、勝手に色々お世話になりました。

自分の主能力は、英語や数学の講師のつもりである私が言うのも何ですが、日本の古典文や歴史は本当に面白いです。おかげさまで人生が豊かになりました。

間違いはご容赦を願います

さて100首もある上に、気になる人物は説明そのものが長いです。また調べた人物は百人一首に収録されている100人だけなく、関係者を含めて、300人以上ぐらいいたので、どこかで記憶が混乱しているところや、記述が怪しいところも、多々あるのは間違いないです。その時のご批判は真摯に受け止め、後日に訂正したいと思います。まずはご容赦ください。ですから、ご閲覧される方は、どうぞ気長にお付き合いください。

前置きが長くなってしまいました。では次のブログから始めます。

食べ過ぎ・飲み過ぎ(未成年者はだめですよ)に注意して、良い年始をお過ごしください。