最近話題になっている「非認知能力」についてのこじつけの自論

2000年にノーベル経済学賞を受賞した、ジェームズ・ヘックマン教授の唱える「非認知力」だが、この言葉とその内容に最初に触れた時「私がずっと前から生徒に言っていることだな」と思い、学者に認められた感じがして嬉しかったのと、なんだ、これならもっと研究して私が賞を取ればよかった、などとオバカな考えを持ってしまった。

彼は1970年代から、数十年にわたって追跡したというから執念深い話だ。非認知力は数値で計ることができないものとされている。つまり「何点だ」と判定できないものだ。この点で知能指数=IQとは一線を画している。ひいてはその能力を高めると学歴や賃金、仕事の遂行に影響が出るとされている。非認知能力そのものを詳しく知りたい人は、ググレばいくらでもサイトが出てくるから、そこはお任せする。

非認知力の要素は「ビッグ・ファイブ」に分けられるが、私流に適当に解説し、持論と組み合わせてみた。もちろん私の勝手な解釈に基づいた、こじつけ部分が多いし、ただのたわごとと受け流してくれて結構だ。

しかし中学生や小学生などの学童の生きている世界は「勉強と友達との付き合い」ぐらいしかないので、勉強という小さな世界に限って『できるヤツ、稼げるヤツになる』ための「成長戦略」であり、「サバイバル・テクニック」でもあり「処世術」ひいては「出世術」だな、受け取ってくれて十分だ。

(1)勤勉、まじめ、強い責任感を持つこと

なんだか校長室にかかっている掛け軸の文句みたいだが、本当にこれが「1番」に上げられている。つまり「やりとげようとする気持ちと実行」と同じだ。男だろうが女だろうがLBGTだろうが、やると決めたら、やりとげるまで、我慢してやるしかないのである。

上杉鷹山作とされる「為せば成る なさねばならぬ何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」であり、あるいは作詞 佐藤惣之助 作曲 古賀政男の歌「人生劇場~やると思えばどこまでやるさ~」の世界だ。「人生劇場」は男尊女卑の思想とアウトローの心境が多少うかがえるが、それを差し引いても、江戸時代や、昭和13年 1938年リリースの「人生劇場」で、日本人は2000年のノーベル賞に先駆け、真理に到達していたのである。スバラシイ。諸般の事情で止むを得ず、一旦中断することになっても、必ず再開する「執念深さ」も必要だ。

(2)開放的で強い好奇心を持ち、想像力、新しいものに親しむ気持ちを持つこと

何しろ子供の生活は「ルティーン」で、昨日と違うことは、朝会ったのが猫でなく犬だったぐらいで、自然に閉鎖的だ。でも「このままでいいや」と思うような学童は、勉強に伸びを期待できない。付箋やノートなどの新しい「アイテム」を購入することに関心がないとか、古い紙ファイルで平気な人は改めるべきで、つまり「柔軟な心」を持つことだ。その点大人の方が生きていくのに切実だから柔軟なのかもしれない。

また学校教科書準拠の問題集だけでなく、難問題を集めた定評ある市販の問題集に、自分から積極的に当たっていくのも「好奇心を持つ」「新しいものに親しむ」ことに他ならない。これも再三再四ブログ上で述べてきた。

まだ続く。