2週間ぐらい何もしなくても平気なぐらい「勉強貯金」をしておこう
「ゆとり教育からの完全脱却」を目指して、勉強する範囲が増えている。教科書も相当ぶ厚くなった。でも授業時間はあまり増えていない。授業についていくだけでも精一杯なのはわかる。
しかし、これからの日本は台風、地震、津浪など、超怒級の災害がいつ襲ってきてもおかしくない状況にある。5年ほど前、春講習の始まる前に私は不謹慎にも「春講習が終わるまでは地震とか来るなよ。終わったら来てもいいからね」と公言していた。そしたら本当に、すごいのが、熊本と大分に来てしまった。観測史上初の「動く震源」のパターン。いや、小松左京先生の「日本沈没」にはあったけど。SF作家とは怖い存在だ。
改めて、自分の不謹慎な発言をお詫びする。
と、私が個人的に何を詫びようが、別に地震の被害が元に戻るわけでもないので、何の意味もないのはわかっている。そして東北でも大きな余震が続いている。そこでこう提言させてもらう。
「現代の日本はいつ何時、超怒級の災害が起きるかわからない状況だから、勉強できる時に、できる限り勉強しておいて『勉強貯金』を増やすことが賢い方法だ」と。
これは実体験に基づいている。
1995年1月17日に阪神淡路大震災が起きた。
阪神淡路大震災に遭遇して感じて、確信した
電気は17日のお昼には復旧したのだが、さすがに私もやる気が起きずに(初めての体験に、精神的に腰が抜けて、へたり込んでいたのかもしれない)、1時間毎に数字が増えていく死者数のカウンターを、現実感が希薄になった目で見ているだけだった。
地震のほんの3日前に、センター試験が終わっていた。もし実施の最中に来ていたら、と考えるとぞっとする。当時はこのへんの生徒たちも神戸大学が試験会場だったからだ。1か月後に私立高校や大学、2か月後には公立高校や大学の試験を控えていたのだが、「まあ、日頃勉強しているし、今やっても集中できないだろう。それに自然を畏れる時は畏れた方がいいもんな」と考えていた。
ちなみにその年の受験生は全員、ちゃんと第1志望校に合格した。(あの時点で)4000人近い人間が、県下で不意に死んでいるのに、2か月後の入試は、しっかりと実施されたのである。これを冷酷と見るか、断固たる決意と見るかは、人によって違う。だから今回のコロナ騒動では去年の時点で2000人ほどの死者数であり、全国に散らばり、高齢者ばかりだったから、入試が延期されるわけは絶対ないと確信し、「延期だ」と主張する人たちに、何を甘いことを言っているのか、とあきれていた。
1ヶ月ぐらい経って少し日常が戻ってきた時に、「阪神大震災特集」の雑誌を何冊か買い、読んでいたら、ある著名な地震学者が「これで完全に日本の地震は活動期に入ったと考えるべきだ。今から50年~100年の間に、全国の各地で、地震やそれにともなう津波が日本を襲うだろう。そして東京に大地震が来て、また休止期に入ることは地震の歴史が証明している」と述べていた。今でもその雑誌は手元に置いてある。
「ホントかな~」と半信半疑だったが、あれから30年近く経って、その学者の言ったことが実現していくのをマノアタリに見ていると、「専門家って、プロってすごいな~」と実感するとともに、今後少なくもまだ30年~80年は、嫌でも活動期が続くことを覚悟しなければいけないことが身に染みてきた。そして2011年に東日本大震災。あの学者先生はもう亡くなっていたが、「やはりな」とあの世でうなづいていることだろう。
最後は首都が壊滅することも覚悟しなければならない。関東地方は日本のGDPの40%を占める地域で、そこが壊滅することは、経済的に日本が半分死ぬことを意味する。
1855年に起きた安政の大地震と、その後に起きた一連のトラフ地震への無策・無能ぶりが、江戸幕府への信頼を崩壊させ、倒幕につながったと言われ、1923年に起きた関東大震災が「大陸進出」へのきっかけになり、1936年に起きる満州事変につながる経済的な原因だと言われ、結果起きた満州事変は、世界の空気を読みそこなった大日本帝国を滅亡の道へ導いた「虚無の帝国建設」でもあった。
まったくの内輪話だが、1944年に和歌山を襲った南海地震で起きた津波で、多大な被害を被ったにもかかわらず、海軍も陸軍も救援に来なかったのを見て「ああ、これでは戦争に負けるかもしれない」と祖父が漏らし、その声を隣組の組長さん(今なら自治会長)に聞かれて、怒られていた、と母から聞いたことがある。軍にはすでに、国民を救出に来る余裕もないのだ、と一庶民の祖父に見抜かれたわけだ。江戸幕府と同じである。
災難に遭った時には災難に集中する
良寛和尚は「災難に遭う時には災難に遭うがよろしい(原文は少し難しく「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」とある)と、地震で安否を気遣う友人に返信を書いている。慈悲深い良寛師にふさわしくない、無慈悲で突き放した風な言い方に聞こえるが、「じたばたしては2次災害を引き起こすだけ。目の前の災難に集中した方がまだ安全だ」と読んだ方が現代に合うなあ、と私は勝手に解釈している。
そこで、中学生・高校生、いや小学生でも、この賢者の言に従い、災害に直面した場合は、その災害に集中する。そして災害の有り様を心に留め、今後自分はどうやれば我が身を、家族を、そして社会を守れる力を持てるのかを内省し記憶することが、現在の状況を破壊した災害を、未来において、防ぎ、被害を減らすことにつながる。
阪神淡路大震災の時、水を汲みに外に出た少女が、軽トラックの荷台に積まれた毛布のすき間から、死んだ子供の裸足の足が見えたことにショックを受けた。しかし彼女は長じて看護婦になり、2011年の東日本大震災では、人を助ける側になった。壊れない建物の建築を目指す人も出たし、心が傷ついた人を治療する方法を考え出した人もいる。まさに「災難に遭う時には災難に遭うがよろしい」が正の方向に転じたことになる。
そのためには「資金や技術」がいる。「技術」は授業などで習うかもしれないから、しっかり聞いておくこと。そしてここで言う「資金」とは、2週間ぐらい勉強しなくても枯渇しない「勉強量」のことだ。私はそれを「勉強貯金」と呼んでいる。つまり日頃から個人が密かにできる「防災・減災」は「勉強貯金」をしっかり貯めこむことだ、を特に中学生に強調しておきたい。