前回の報告で「戦争も文化の一つ」と述べたが、少し雑なので言い直すと、「戦争の遂行過程も、その地域に住む人々の文化の形態を表す」がより正確だろう。

例えば日本人は守るのは割合に上手だが、攻撃となると下手な場合が多い。これはサッカーなどでもよく見受けられる。逆にアメリカは攻撃は上手だが、守りになると少し下手だ。ただし防御に徹底すると決めたら、中々手ごわい。

これは大陸国家か海洋国家か、あるいは国の成立過程などにも影響していることが多い。やはり基礎教養として、大学とか高校3年あたりで勉強しておく方が良いだろう。

ヒトラーとスターリンの為人と生い立ち

さて「『そうだろうな』と思った1つのこと」だが、独ソ戦は最終的にはソ連の勝ち、ドイツの負けに終わったその最大の原因はやはり指導者の資質の差によるものだ、と本書「独ソ戦史」は述べる。私もその通りだな、と考えた。

私の知る範囲ではアドルフ・ヒトラーは「より感覚的」な人間で、ヨシフ・スターリンは「より理性的」な人間の印象が強い。そして怒るとかなり怖いし、2人とも猜疑心が強く、はっきり言えば狂人か、狂人と紙一重だ。あまり近寄りたくないし、側にいて欲しくもない。

また共通して言えることは、2人とも「挫折経験」が強い。
ヒトラーは画家志望だったが夢を果たせず、スターリンは学費が足りなくて神学校を退学している(ただし父親の反対も強く、援助を打ち切られたのが直接の原因らしい)。

スターリンはその後、棄教、つまり「神は死んだ」として共産党員になり、破壊活動に身を投じているし、ヒトラーは1921年(日本なら大正10年)にナチス党員になった。その後の2人の人生行路は平和な世が続いたなら単純に「犯罪者」で終わったかもしれない経歴を持っている。つまりテロリストだ。

ドイツ軍の将官級上位軍人は上流階級で切れ者が多い

対してペイペイの(死語だな)下っ端はともかく、将官級の上位軍人は、士官学校を出てキャリアを積み重ね、出世していく=階級が上がるエリートと言って良い。士官学校自体は学費が安いか、免除制の場合が多いが、士官学校に合格するには勉強ができないといけないし、勉強するためにはお金がかかる。子供の教育にお金がかかるのはいつの時代でも同じだ。

そもそも士官学校に合格するには最初からハイレベルの「元が違う」素質も必要で、アホでは無理なのである。要するに「切れ者」がごろごろしていると考えて良い。

日本も戦前は、陸軍士官学校=陸士と海軍兵学校=海兵があり、優秀な男なら陸士・海兵を目指せ、東大なんぞ軟弱者の進む道だ、という風潮があり、軍人を目指すために、多くの家庭はお金をつぎ込んだ。また現代日本でも東大に入るには、小さいころから費用を惜しんではならないのは常識だ。かのホリエモンこと堀江氏も「東大に入って驚いたのは、裕福な人の子弟がたくさんだったこと」と、どこかのインタビューに答えていたことを覚えている。

ソ連は「たたき上げ」の軍人が頂点に就いた

独ソ戦当時のドイツの有名な将軍などはたいてい「フォン」が付いている名前で、ああこの人は貴族階級だなとわかる人も多い。その家系や一族にも軍人が多いし、ついでにいうと貴族風のイケメンも多い。

ただしソ連の場合は、農民赤軍に参加してまさに「一兵卒」からのたたき上げで、相当の高官、ひいては元帥まで出世した人もいるから、一概には言えない。しかしそういう人でも途中から、士官学校みたいな教育機関に一時的に所属し、勉強をして、さらにそこから出世しているから、「エリート」という称号を与えても、単純に間違いとは言えないと思う。「一次試験は戦場で済ませた」わけだ。また元々「ロシア帝国の軍人=士官学校卒」だったので、素人の多い農民軍の指揮官にスカウトされて出世した人もいる。

コンプレックスは両方に作用する

ヒトラーもスターリンも2人とも権謀権術を駆使し、政敵を葬って、権力の頂点に達したが、相当のコンプレックスを周囲に対して持っていたことは間違いないだろう。スターリンはグルジア(現ジョージア国)系だから、もろに民族差別も受けている。

現代の政治家も同じで、選挙を通じて政治を担っても、下支えをする官僚の方が相当優秀で、気後れしている人が多そうに見える。そこから、敵より味方に負けないぞ、と気負うことがあるが、ヒトラーもスターリンも同じようなことが数多くあったのは記録に残っている。

こういう人が頂点に立つと、絶対にやるのが大阪弁で言う所の「ええかっこしい=見栄っ張り」と、「出しゃばり」だ。

ただし私はコンプレックスを持つことが悪い、と単純に言うつもりはない。誰だって何かしら劣等感を抱えている。そしてそれをばねに人生を切り開くことも多い。日本歴史の英雄なら後の豊臣秀吉=羽柴秀吉も、伊達正宗もそうだったし、チェーザレ・ボルジアも似たところがある。

まだ続く。