もうすぐ中学生になるご子弟を育てている保護者様へ

今現在の公立中学校のあり方について、少し伝言させてください。

小学校と中学校はだいぶん違います。もし上のお子さんが近所の公立の中学校に通っているのなら、ある程度の話は聞いておられるでしょう。その際は、さらに補強的な情報だと思ってください。

唐突ですが「教育界の七五三」という言葉をご存知でしょうか?2008年6月に祥伝社から出版された主題が『「教育七五三」の現場から』、副題が『高校で7割・中学で5割・小学校で3割が落ちこぼれ』という本から来た言葉です。当方も読みましたが、当時の現状を知らない人にとって、その中身は「衝撃的な暴露話」でした。お祝いの七五三ならめでたいですが、これはとんでもない話です。

内容自体は、しごく当然なもので、小学校で授業内容を理解できていない3割の人たちは、中学校では5割の「授業がわからない人たち」にすぐ編入され、次に授業が理解できている7割の人たちの中で、7割ぎりぎりの下の方の人や、少し勘が鈍く、しかも努力不足の人も、すぐに5割の「授業がわからない人たち」へ編入してしまいます。これで中学校で5割の「授業がわからない人たち」の層ができあがりです。

具体的には中学1年の夏が過ぎたあたりで、平均点が60点から下あたりが「授業がわからない5割の人たち」のラインです。こうなると自力で挽回するのは、かなり難しくなります。親御さんの助力や、教育動画のYou tube 映像 や、 塾やら家庭教師などの助けが必要になるでしょう。

この本は「朝ご飯をちゃんと食べること」「生活態度を改めること」などが列記されていて、それは良かったのですが、問題点は「なぜ授業がわからないのか?」の具体的な解決策が、少し曖昧だったことです。

もっとも当方は経験だけは豊富なので、約25年ぐらい前から、つまり『「教育七五三」の現場から』が出版される約10~13年前から、「最近、学校の授業を理解できていない人が多いな~」と体感・実感していました。

成績表に掲載されている成績と問題解答能力は別物になっている

『「教育七五三」の現場から』の出版から10年以上過ぎました。そしてやはり特に改善されていないように感じています。いやあの時よりひどくなっている、とさえ感じています。それは「教員仕事のブラック化」「就職先としての学校の低人気化」「教員退職者の増加傾向」と同調しています。

ここでおおざっぱに時代の流れをまとめると、
[今から50年ほど前]
1970年代後半の「非行少年と校内暴力」の時代
(世の中はオイルショックが始まり収まったころ。塾長の中高生時代)
[今から40年ほど前]
1980年代後半の「授業内容漸次削減」の時代
(世の中はバブル経済が始まったころ。ドラマは「東京ラブストーリー」などのトレンディードラマや「金八先生」が大人気。当塾はこの頃に設立)
[今から30年ほど前]
1990年代後半の「ゆとり教育」の時代
(世の中は1995年に新OS Windows95発売からインターネットの普及が始まり、1999年に掲示板「2ちゃんねる」ができる。日本はバブル経済の崩壊から「失われた20年」の始まり。教育界は絶対評価の導入)
[今から20年ほど前]
2000年代後半の「学力低下」の時代
(世の中はアメリカで9.11テロが起きて、テロと戦争の世紀に突入。日本は「自己責任論」の全盛を迎えて、ホリエモンなどの「新しいお金持ち」の登場。)
[今から10年ほど前]
2010年代後半の「ゆとり教育廃止と授業内容の増加≒回帰」の時代

と教育界の風潮があっちに振れこっちに振れしている、つまり腰が据わっていない、自信のない姿勢と同調し、その底流で「問題が解けない」という人が増えていったと当方は感じ取っています。自分に自信のない誰が、他人を説得し導けるのでしょうか?ついでに言えば「日本の教育方法は間違っている」という前提で話が始まっているのが、そもそも変だ、ということに気が付いていないことも原因です。

ただし弁護させてもらえば、どの時代でも、「問題が解けない」人たちの半数は、授業を聞いていないのではない。授業も聞いてノートも取っているんですが、全然身についていない、ノートに書いてあるものと全く同じ問題を出しても、一歩も前に進めない=突破口がどこにあるのか知らない=覚えていない人たちです。例えば「偶数・奇数」と聞いたら「2n と2n+1 !」と出てこない場合が当てはまります。

そしてそういう人が増えたな、学校は「情報の伝達」すらできていなくて、「情報の伝送」止まりかなと。送っただけで、受け止めたかどうかの確認は定期テストだけなのでしょう。中学3年は確認テストはやっていますが、1~2年の時は緩い場合が多い。

覚えるのは全く悪いことではなく、必要なこと

しかし成績表の成績は悪くはない。ここに盲点があります。「成績表にある成績」とは、5だとか4だとか3だとかの「評価の数字」のことです。変な言い方ですみません。しかし問題は解けないのですよ。絶対評価ですから。「その人がどれだけ頑張ったか」に評価の基準があるのです。

現在はさすがに改善されて、授業は真面目に受けて、提出物もちゃんと出してはいるが、問題解答能力のない人は4は取れず、3止まりになっています。それでも3なのです。

どうやれば3を脱出して、4を取れて、5を狙えるようになるのでしょう?答えはシンプルです。問題が問うところを理解して、解答できるようになればいいのです。「頑張った」と「成果を上げた」のは違う、とも言えます。「勉強時間が増えた」と「解ける問題が増えて、以前より難しいものにも挑戦できるようになった」も違います。

でもそのためには、根幹になる典型問題の解答方法を覚えるまで繰り返し、さらに良く似た関連問題を最低でも10題は解かなければいけません。それでも似た問題の最初の1題~5題ぐらいまでは、全然解けないので、結局「覚えるしかない」になるでしょう。これは3と4の間がすご~く遠いことを意味します。

特に数学では解答方法を覚えましょう、と言うと、今はこれを「詰め込み教育だ!」と非難する人がいます。英語なら「本文を暗記しましょう」と言ってもあまり非難はされないのに、です。

しかし「業界用語」を覚えなければ、その「業界」での「仕事」は一歩も進めません。言葉を話せるのも覚えているからこそ話せるのです。さらには、覚えることが「悪」なら、世の中に英単語集や、数学の説明動画があふれていることを、どう説明すれば良いのでしょう?

そして現実問題として、自分の望む学校に行きたければ成績を上げなければいけません。四の五の言っている間にダイヤモンドより貴重な時間の砂粒はこぼれ落ちていくのです。

覚えるためには時間が必要

では覚えるためにはどうやったら良いのでしょうか?これも解決方法は、やはりシンプルです。今はスマホアプリとかネット動画とか、便利なものが溢れていますが、それらを使っても、結局は「何度も繰り返す」ことしか方法はありません。

しかし「繰り返す」ために必要なのは、時間です。時間はどこにも売っていません。缶詰か何かに入っていて、それを開けたら「2時間」とか手に入れば良いのですが、そういう「玉手箱」は世にはない。時間は自ら何かをはずして、作り出すしかない。そして時間を作り出すのは習慣です。

25年ぐらい前より過去の時代は、この作業を学校でやっていたし、そもそも宿題が「反復の延長」にあったから、家庭でもあまり意識しませんでした。1980年代の学校の先生たちは、学生時代を1960年代かそれ以前からの「詰め込み教育」で過ごしていたため、「問題は覚えるとできる」と認識していました。また時代も少しのんびりしていたので、余裕があった。

今も昔も基礎問題に変化はありません。三人称単数現在形は動詞の語尾にsかesを付け、否定文・疑問文にしたら原形に戻す、過去形でも同じ。動詞が y で終わっても、そのまま ing をつける。方程式の解き方や、文章問題のパターンも同じです。これらは言ってみれば「学習世界の原子」であり、変わりようがないのです。多くの人が勘違いをしているのが、ここです。

生徒も、学校でやるのなら、級友が周りにいたとしても、自分自身が主体になって進めるしかない、友人は助けてはくれても、代わりにはやってくれないし、説明も下手ですから、先生にたずねるか、自分で理解・習得するしかないので、自主自発の精神でやらねばならない。また級友がやっているなら自分もやるぞ、という「ピアー効果」が出てくるので、一人でやるより、頑張ります。

よって当時の塾は「学校レベルのことは、ある程度わかっている」前提で進めるから、発展問題指導にスムーズに入れて、ある意味、楽でした。もちろん学校の授業が理解できない人は、それ専用の塾に通っていました。それでも半数ぐらいは学校の授業はわかっていました。

覚える作業は学校ではあまりやってくれない

現在では少子化が進んで、生徒の数が減り、目が届くようになったはずなのに、最近の学校は、「覚える」地道な作業をあまりやってくれません。その原因は、予算が回ってこないために、常に人員不足と時間不足で、教員・教師は授業創造以外の作業で忙しく、なんとか授業はしても、定着までは指導する余裕はないのです。

世界も危惧する“教員を軽視し続ける国”日本

【過去最低の採用倍率】なぜ「教員になりたい」人が減少しているのか

OECD LIBRARY 国富における教育の比率(2017年)

子供応援便り(2015年) より

日本はなぜここまで教育にカネを使わないのか(2014年)

あるいは、教員・教師の先生たちも、時代が変わり、自分がそういう「繰り返し作業」を受けてこなかったから、発想ができないのかもしれません。

というのも、学校の先生になれるぐらいですから、暗記力は標準より上でしょうし、公立校の先生なら、地方公務員でもあるから、さらに暗記能力に長けているはずです。だから「どーしても覚えられない!」という生徒の実情がわからないのかもしれません。数学の先生で「なんでこんなものわからないんだ」という人がよくいますが、勉強ができているから先生になっている≒自分が「わからないこと」を体験していないから、わからないのです。あるいは子供の時の記憶を失っているのでしょう。

また「詰め込み教育批判」も行き過ぎています。10年ほど前に「陰山メソッド」なる学習方法が喧伝されましたが、あれでも「詰め込み教育だ!」との批判があったぐらいです。当方は少し呆れてしまいました。

学校がやってくれないなら、自分でするか、塾側がするしかない

学校がやってくれないなら、自分でするか、塾などの民間指導側がするしかないわけで、現在ではそういう作業にも塾は時間が取られています。しかし塾は民間のサービス業ですから、完全に放っておくことはない。放っておくと「あの塾は何もやってくれない」との評価が付いて、生徒が来なくなるから、あの手この手で助けてしまう。この時少し、良心が痛むのは事実です。

ですから進学コースでない普通レベルの塾に入って、「成績が伸びた」のは、「本来は学校でやる≒自分でやり遂げるはずのものを、サポートされてようやっとできるようになった」と考えたほうが良いでしょう。今は補習専用の塾は、昔の学校の役割を果たしていると認識してください。よって、本当に、自分は自分でできるようになったのか?と疑いの目で、自分自身を確認することが必要になります。

このような内実から発生した、矛盾と混乱が満ちたスリリングな中学校生活が待っていると考えてください。実は公立も私立もあまり変わりはないです。

当塾は、混迷を極める教育界を横目で見ながら「成績を上げたければ、問題を解いて覚えろ」との姿勢を崩さず、ここまで来ました。もうしばらく頑張ろうと思っています。

読んでいただいて、ありがとうごさいました。